TECH-M JOURNAL

ジャーナル

VOL.5
生コンとボクシングとスーパーカー。波瀾万丈の佐藤流人生の楽しみ方

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生コン屋のオヤジ(失礼!!)にして元ミドル級プロボクサーである佐藤さん。
初対面時、いかにもコワモテする風貌にややたじろいたが、 その山あり谷ありの波瀾万丈な生き様をお聞きするにすれて、 気づけば惹きつけられている自分がいた。

 機嫌を損ねるときっと殺られるに違いない。 その風貌、怪傑ライオン丸がごとし。 ご登場願うのは佐藤克俊さん、元ミドル級プロボクサーだけあって今なお体幹が大きく、 みずからに厳しいトレーニングを課し続けてきた名残が見て取れる。

 “社長ボクサー”。 佐藤さんは新聞にそんな肩書きとともに取り上げられた経歴をもつ。 チャンピオンに登り詰めるべく、生コンを運ぶ運送業を営むかたわらで日々ハードな練習を積むその真摯な姿勢が魅力的に映ったのだろう。 けんかっ早い性格が勤務先などでトラブルを起こした経験もあるヤンチャな大阪人がボクシングに打ち込んだのは、 自分の拳ひとつだけで対等に勝負できるところに尽きた。

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 「オヤジが病気がちやったんで、小学生高学年時代からアルバイトに精を出し高校進学を諦め電器店に就職。 そんとき昔の仲間に集金を巻き上げられそうになってね、気づいたらみんな殴り倒してた(笑)。 それをきっかけに気に入らんことがあったら殴ってたな。 で、22歳のときに勤務先近くのボクシングジムに興味半分でぶらり立ち寄ったわけです。

 こちとら腕っぷしには自信があったし、ストレス発散にちょうど良いかなと思うて。 ムリヤリ頼み込んで高2のスパーリングパートナーをやらしてもらったんやけど、 そら面白いほどボコボコにされてダウンしましたわ。けど、めちゃくちゃスッキリした気分やった。 腫れ上がった顔を鏡で見つつ(ボクシングやったら自分を替えられるかも知れへん)てね」

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 その後、本格的にジムに通い始めた2年後、1991年にミドル級の選手としてプロデビューを果たしてランキング入り、 1997年に念願の日本タイトルマッチに挑んだ。その結果は2回KO負け。 この試合を最後にリングから離れて運送業に全力を投じることとなった。 が、不況のあおりで経営がうまくいかず資金繰りは悪化する一方。 そのなか、もう一度カクテルライトきらめくリングに立てば、失いかけた自信と情熱を取り戻せるかも知れない、 そう考えて2001年に再起戦に挑んだ。KO負けこそしたが、36歳の運送会社社長は見事輝きを取り戻す――。

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 「ボクシングを通じて学んだのは、生きていく自信やね。自分は生きとってもええんや、 めいっぱい自己主張しながら人生を楽しんでええんや、というね。 小学生のときからキツい人生を送ってたから、とにかく正社員になりたくてね。 憧れとったんは生コン車の運転手、いつか独立して社長になってめっちゃ稼いだるぞと。 じつは中学生のときから生コン車とフェラーリが大好きで、絶対に将来は乗ると決めてたわけ。 けど、もちろん高額なわけでどうやってそんな大金を貯めたらええのかも、実際の購入方法すら分からん。 で、社長になれば会社名義でローンを組めるんちゃうかな、と(笑)」

 生コン車の運転手のバイト、バーテンダー、いろんな仕事を経験しつつ、 三十路を迎えた1996年9月に生コン車一台を購入して晴れて独立。 その経緯が“社長ボクサー”として取り沙汰されたのである。 佐藤さんとはヴァイタリティーの塊であり、夢に向かってひた進む突破力には舌を巻かざるを得ない。 実際、フェラーリF335を皮切りに計7台のフェラーリとランボルギーニ・ディアブロを次々に購入、 現在はBMW i8とフェラーリ360スパイダー、そしてアバルト500Cの3台を所有されている。

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 「生コン車の運転手から運送会社を興して社長となり、フェラーリを手に入れる。 中学生のときに描いた夢を叶えるためにここまでガムシャラに走ってきた。 もちろん、失敗や挫折、紆余曲折もけっこうあったよね。たぶんボクシングやってなかったら願いはかなえられてへんやろな、 と痛切に思うわ。引退してずいぶん経った今やから時効と思って告白するけど、 生まれつき左目があんまり見えてへんし、二十代後半はカラダ悪うして入退院を繰り返してた経験も。 リアルに死を考えたとき(働けんようなる前に、なんとか仕事を確立して安定した収入させとかんといかん)と真剣に考えたもんなぁ。 よくよく考えれば、ボクシングだけじゃなくフェラーリという夢も自分が生きていくための燃料やったかも知れんね」

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 夢に向かってひたすら一直線に突き進んできた佐藤さんは剛毅、豪放と映るかも知れない。 だが、その実像は切ないほどストイックにして生真面目。 目をトロっとさせてクシャっと崩れる笑顔を浮かべることが出来るのは、殴られると痛いこと、殴ると痛いことを知っている、 まさしく酸いも甘いも噛み分けたライオンハートの持ち主、怪傑ライオン丸だからこそ。

以上、つらつらと佐藤さんの前半生について書き綴ってきた。 なかにはいぶかる向きも居るかも知れない。これでは単なるサクセスストーリーではないか、と。 だが、佐藤さんの生一本な性格を知ってもらい理解してもらったうえで、語りたいことがある。そう、テックエムについてだ。 このライオンハートの持ち主ならば、臆することなく遠慮することなくテックエムの実像を語ってくれるだろう。

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 「いや、いつも水元君にいうてんねん。“相変わらず儲からん仕事のやり方してんな”と(笑)。 だって自分とこでクルマ買ってイジっても金は生まんやん? 客のクルマを客のカネでイジらせて、 それをデモカー代わりに雑誌とかに取り上げてもろたほうが儲かるわけやから。 ボクが水元君とこに寄せてもらうようになったんは、 今でも濃ゆい付き合いのある最終的に東洋太平洋王者にまで登り詰めた再起戦の相手なんやけど、 彼の友人が5シリーズ乗っててね、ドレスアップとかチューニングが大好きなんよ。 それでi8購入後にBMW系のええショップを紹介します、って誘われてここに来たわけです。

 そこでテックエムが手がける水圧転写によるカーボンプリントに目がいき、愛車各部への施工をリクエスト。 けどあれやね、他のクルマ屋はどこかビジネスライクに整備や施工をこなしてんのに対して、 彼からはひたすらクルマをイジるんが好きってオーラ出してる。クルマが大好きなんは見てて分かるし、 そんな彼に愛車をイジってもらえるんはこっちとしても素直にうれしくなるよね。儲からん愚直な仕事ぶり、 そこがたまらん魅力なんやわ。彼んとこに遊びに来るん、ほんまに好きやねん」

 日本王者、後の東洋太平洋王者。一流のプロボクサーを肌身で知る佐藤さんその人も、 人生という名のリングで輝くまたひとりの一流。選ばれてあることの恍惚と不安のふたつ我にあり、 十年先にも佐藤さんに“好きや”といわれるように、テックエムもボクサーよろしくフルラウンドを闘い抜ける身体能力を磨き続けることを誓う。

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